
フランスで出会った、Saint Amand (サンタマン窯)のディナープレートです。濃淡で表現された上品なブルーと華やかな装飾が魅力的なCampanule(カンパニュラ)シリーズの一枚です。
フランス サンタマン窯(Saint-Amand)のお皿。 バックスタンプにはシリーズ名である「Canpanule (カンパニュラ )」の文字。
これは釣鐘草のことで、釣鐘型の青い花のパターンが爽やかでおしゃれなデザインです。ブルー一色で非常に上品なプレートです。



サンタマン社について
サンタマン社(Saint-Amand)は、フランス北部、サンタマンレゾー(Saint-Amand-les-Eaux)に1705年創業した窯元です。陶器工場として恵まれた場所で、材料や製品を輸送する為のスカーペ川と道路があり、窯用の木材が取れる森がありました。
1705年ニコラス・デムウティエール(Nicolas Desmoutiers)がファイアンス焼きの工場を設立しました。彼の製品は花や動物柄等で、多色使いの装飾と、伝統的な白地に青の柄の製品が両方作られていました。
1735年、娘のMarie-Josèphe が結婚し、彼女と夫のRobert Flescher が経営を引き継ぎました。
1736年、リールで最初の陶芸家Barthélémy Dorez の子孫であるドレス家の家族に会社を貸しています。
1775年工場はベッカート(Bécart)に売却され、1776年に閉鎖、バランシエンヌ(Valenciennes)に移転しました。
1718年、ベルギーにある陶器の街トゥルネー(Tournai)(オランダ語でDoornik)からサンタマンに移り住んできたピエール・ファウゲス(Pierre Joseph Fauquez)がサンタマンに第二の工場を設立。彼が以前所持していたトゥルネーの工場の従業員達も付いてきました。
1718年から1740年までピエール・ファウゲスが経営し、1740年から1773年は息子のFrançois-Josephが、1773年から1794年までは孫のジャン・バティスト(Jean-Baptiste)が引き継ぎました。
ジャン・バティストは18世紀に流行した中国の陶器に影響を受け、トゥルネーの陶器の装飾技術からインスパイアされた装飾的な製品を製造しました。1794年にはフランス革命により、工場は閉鎖され、生産は終了しました。
1810年から1817年まで、サンタマン第三の工場がDorchiesとHerboにより経営されました。1818年、トゥルネーの陶芸家Maximilien Joseph de Bettigniesが引き継ぎました。
この頃の製品は多様で芸術的で、ドングリや月桂樹、コーンフラワー等のファイアンス焼きがトゥルネーの陶器の装飾技術を応用し作られました。この工場は成功し、サンタマンのDu Moulin des Loupsに新しい大きな工場を設立しました。カオリンを含まない柔らかいセラミック陶器Porcelaine tendreの製造もしましたが、こちらは失敗しています。
1880年、Gustave DuboisとLéandre Bloquiauxが会社を引き継ぎました。リュネヴィル(Lunéville)やサンクレマン(Saint Clément)と同じ様な生産方式で、釉のアーゼンウェア陶器を製造しました。
1887年、株式会社となり、名前がManufacture de Faïence et de Porcelainesとなりました。
1896年にはWandignies-Hamage に第二の工場が設立され、Saint Amand et Hamage Nordマークが登録されました。
この会社はすぐに大きくなり、ピーク時には700人が働いていました。1900年には駅の近くにSociété Amandinoise de Faïencerieが設立されました。
サンタマンの主なバックスタンプは、壁模様の王冠の下に、サンタマンの紋章である、2つのフルールドリスの間に剣のデザインのコートオブアームズが描かれています。1896~1952年頃の製品に見られます。現在はこの頃に作られた製品が主にフランスのマーケットで見られます。
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