こんにちは。MALTO買付けスタッフのミチコです。
今回は久しぶりのブログ更新に買付け途中に訪れた大好きなパリについて書こうと思います。
パリには今まで仕事やプライベートで8回ほど訪れているのですが、いつも散歩して訪れるのは同じ場所ばかり。
パリはそんなに大きな街ではなくて、ジョギングして一周できるほどの広さなのです。
東京の山手線の内側とほぼ同じと言われています。
そういえば、昔パリで宿泊したホテルで知り合った日本人女性(ボクサーだったようです)がパリを走って一周していました。海外一人旅している女性はタフですね。
でもコンパクトなパリだからこそ、見どころがギュッと詰まって楽しめるのが魅力だったりします。
この日はセーヌ川沿いを散歩していて見つけたかわいい本屋さんに入ってみることに。
wikiペディアからの情報によると、
シェイクスピア・アンド・カンパニー書店(シェイクスピア・アンド・カンパニー書店、Shakespeare and Company)は、パリ5区、セーヌ川左岸にある書店。本の販売だけでなく、1万冊の蔵書を持つ英語文学専門の図書室も併設している(閲覧のみ)。
この書店はまた無一文の若い書き手に宿を貸すことで知られており、「タンブル・ウィード」の愛称で呼ばれるこれらの若者は毎日数時間、店の手伝いをすることで食い扶持を得ている。
現在の書店は、第二次世界大戦期まで存在した店の名を襲名した二代目に当たる。
と、歴史のある本屋さんです。
ちなみに、初代の店主について調べたのですがこちらもとても興味深い内容でした。
初代「シェイクスピア・アンド・カンパニー」
初代のシェクスピア・アンド・カンパニーは、ニュージャージーから移住してきたアメリカ人女性シルヴィア・ビーチによって1919年に開かれた。
場所は当初はデュプイトラン通り8番地で、1921年5月にオデオン通り12番地に移り、以後1941年の閉店までこの場所にあった。この店は書店であると同時に貸し出しの可能な図書室としても機能しており、扱われる書物はビーチ自身の鑑賞眼を反映した洗練されたものであった。
シルヴィア・ビーチが店主を務めた初代シェイクスピア・アンド・カンパニーは第二次大戦期まで、パリにおける英米文学とモダニズム文学の中心地であり、アーネスト・ヘミングウェイ、エズラ・パウンド、スコット・フィッツジェラルド、ガートルード・スタイン、ジョージ・アンタイル、マン・レイ、そしてジェイムズ・ジョイスなどがこの書店で多くの時を過ごした。
シェイクスピア・アンド・カンパニーは、ヘミングウェイの『移動祝祭日』で店の常連たちとともに繰り返し言及されている。この店の愛顧者は、D.H.ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』のように英米で発禁になった書物も手に入れることができた。
シルヴィア・ビーチのシェイクスピア・アンド・カンパニーは1922年、アメリカ合衆国とイギリスで発禁処分を受けていたジョイスの『ユリシーズ』の最初の出版元となり、以降の『ユリシーズ』の続刊は「シェイクスピア・アンド・カンパニー」のインプリントの元に出版された 。
オデオン通りのシェイクスピア・アンド・カンパニーは1941年12月、第二次世界大戦中の枢軸国によるフランス占領のために閉店した。ショーウインドーに展示してあったジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を買いたいというドイツ人将校の申し出を断ったことがその原因となった。
この本はシルヴィア・ビーチが所有する最後の一冊であった。オデオン通りにあったこの店は以降二度と再開することはなかった。
残念ながら戦争によって一度閉店してしまったようですが、現在は2代目の店主が初代のコンセプトを受け継ぎながら営業をしているようです。
こんな素敵な本屋さんを偶然見つけることができるのも、コンパクトで楽しいパリならでは♪
古い本から新しい絵本まで色々なジャンルの本が所狭しと展示販売されています。
店員さんもフレンドリーでゆったり店内を巡ることができました。噂では猫が放し飼いされているようですが、この日はいませんでした。
パリ古い建物を活かした作りで迷路のよう。店内にいるだけで幸せで楽しい気持ちに^^
MALTOもこんな素敵なお店にしたい!(本屋さんじゃないけど)と夢が持てた体験になりました。
パリは石畳が多いので一日観光するならスニーカーがおすすめです。
続く