LONGWY(ロンウィ)1798年~
ロンウィー(LONGWY)は、北フランスロレーヌ地方のロンウィに1798年創業。シャルル・レ・ニエが古い修道院の中に作陶の窯を作ったのが始まりです。ここでは第二次世界大戦までのロンウィーの歴史について書いていきます。
ナポレオン1世がこの地を訪れ、レジオン・ドヌール勲章を与え皇室用の食器をロンウィに注文したことで、その知名度や名声は一気に高まりました。
1810年のナポレオン戦争時、ドイツ軍による市内包囲によって工場は活動停止し困窮しますが、ルクセンブルクのヴィレロイ&ボッホ創始者の親戚にあたるジャン・アントワーヌ・ド・ノトームが窯を買い取り、経営を引き継きついでいきます。
出典lesvieuxlongwy.com
【LONGWY(ロンウィ)の歴史】1835年~
会社は近代化し、工業化の時代へ突入します。1836年、新しい釉薬の開発により、ライバル会社が製造するイギリススタイルの高級硬質土器に対抗できるようになっていきます。
1847年には隣の敷地に高炉を建設。高炉の廃ガスを回収して追加燃料として利用するプロセスを完成させたが、これは近くに土器窯があることが前提でした。
環境のためではないと思いますが、19世紀当時から効率性を考えた、再利用技術のようなものを開発していたことはちょっとした驚きです。うつわの装飾は、1840年頃に印刷技術を採用していきます。
1850年から数年間、イギリス人装飾家G.ヴァーノンが滞在し、イギリススタイルの装飾が発展。工場の従業員数は経済情勢によって変動し、1835年には50人ほどだったが、1856年には150人になりました。
この時期は、パリや地方で開催された数多くの展示会で賞を受賞し、名誉勲章を授与されます。ロンウィーエナメルと呼ばれるエナメル陶器(七宝焼き)の生産を始め、陶器ブランドとしてその地位を確立していきます。
【LONGWY(ロンウィ)の歴史】1866年~
豊かな時代へと変貌を遂げ、複雑で革新的な技法を駆使した最も素晴らしいディナー・サービスを生み出していきます。
1870年頃からは時代の流れで、主に東洋のデザインに触発された装飾的な作品が作られるように。
その成功はめざましく、1878年と1889年の万国博覧会で数々の賞を受賞し、その芸術の頂点を極めましたが、そのデザインやフォルムの主なインスピレーションは日本と中国からでした。
1900年代初頭のロンウィーの工場の入り口 出典lesvieuxlongwy.com
【LONGWY(ロンウィ)の歴史】1900年~
1900年頃になると、景気の悪化により生産が難しくなり、格調高い作品やユニークな作品よりも収益性を重視するようになります。 Société anonyme des faïenceries de Longwyに社名を変更し、従業員数は1914年までに450人にまで増加しましたが第一次世界大戦が勃発し操業は停止。 爆撃のより向上の一部が破壊されるなど。戦争に翻弄されていく時代に。
【LONGWY(ロンウィ)の歴史】1920年~ アールデコの時代に入ると、精力的に生産を続けますすが、次第に19世紀のエレガンスさは失われていきます。 1930年代に入ると経済危機により注文が途絶え、第二次世界大戦中は生産が停止。1941年に入るとオーナーが所有していたシャトーで生産を再開します。現在では「Manufacture des Emaux de Longwy 1798」として、七宝焼きのブランドとして3世紀目を迎えその歴史は続いています。