Mason's(メイソンズ)
古くから吸収合併を繰り返し、発展しながら成長を遂げる英国の陶器メーカー。
その中でも特に人気が高く、世界中のコレクターがこぞって収集するのがMason's(メイソンズ)社製の陶器製品たち。
ブランド・メーカー別で探す
【Mason's & other English Ironstone China】
イギリス・ロンドンで1796年にに創業され、今なお愛され続けている伝統の陶器メーカー「MASON'Sメイソンズ」社。
当初は創業者のマイルズ・メイソンがロンドンで陶磁器輸入業からはじめ、後に工場を作って生産もはじめました。
そして1813年に当時若干21歳であった息子のチャールズ・ジェームズ・メイソンが"ironstone china"の特許をとりました。
それ以来メイソンズが作る食器は、高価で壊れやすい中国からの輸入磁器に劣らず美しく、硬くて丈夫ということで、日常に使う器として広く使われたそうです。
メイソンが独自で始めたこの陶器の製作は、すぐにイングランド全体の工場へと広まり、陶器製作の定番となりました。
しかし1968年、同様に硬質陶器を扱うウェッジウッドグループとなり、現在では生産がされておらずメイソンズの陶器は大変希少なものとなりました。
ヨーロッパ諸外国における"ジャポニズム"
19世紀後半のヨーロッパでは、諸外国の文化工芸を紹介する博覧会(万博)が流行しました。
記念すべき第一回はロンドンで1851年に開催。当時の日本は1939-1854年に渡る間、鎖国のため外交・貿易が制限されていました。
以降、第二回ロンドン万博(1862年)、第二回パリ万博(1867年)、ウィーン万博(1873年)には、
幕末の日本から薩摩藩・佐賀藩(ウィーン万博には日本政府も)の陶磁器、漆器、金属工芸などが出品され、
日本の美術工芸品が当時の流行最先端となりました。この動きをジャポニズムと呼びます。
これが後にアールヌーヴォーを生む大きなきっかけとなったと云われています。
このため19世紀後半のイギリス陶磁器業界では、日本の美術工芸品の雰囲気を真似た作品が数多く作られました。
薩摩焼を真似た象牙色の地色に金彩を施し、漆器の蒔絵を真似て金銀彩や青金・赤金の成り上げを施した陶磁器が作られたのです。
ジャポニズム以前にも日本の美術工芸が流行したことはあります。
17世紀末から18世紀には柿右衛門、漆器とそれを模した黒塗りの家具、19世紀には金襴の献上伊万里が流行しました。
ただし当時は日本と中国の区別がなく、総じてシノワズリー(中国趣味)と呼ばれていました。
19世紀のジャポニズムは、中国とはっきり区別して日本の文化が認識されたものです。
パターンからみるヨーロッパの中国趣味
17世紀後半、ヨーロッパへ輸出された「伊万里」や「柿右衛門」などの日本の磁器は絶大な人気を博しました。
王侯貴族たちは邸宅に磁器を飾り、日本や中国の磁器を競って買い集めます。
ドイツのザクセン選帝侯アウグスト2世は日本磁器に傾倒するあまり、「日本宮」という磁器の収集館を建設するほどでした。
当時のヨーロッパには、中国や日本の磁器のように、純白で薄く、硬く艶やかな硬質磁器を作る技術がありませんでした。
やがて、列国の王侯貴族や事業家は、自分で磁器を作れば、東洋に流れる莫大な富が手に入ると考えるようになり、ヨーロッパ全土で磁器生産への熱意が高まったのです。
-
"Imari"パターン
-
"Imari"パターン
-
"Imari"パターン
-
"Regency"パターン
そのため当時のヨーロッパでは、中国や日本の陶磁器を真似た模倣品が数多くつくられました。(=ジャポネズリー(japonaiserie))
それほどに、東洋の陶磁器はヨーロッパの人々にとって絶大な影響力を持ち、多くの人を虜にしたのです。
メイソンズの"Imari"パターンや"Regency"パターンは当時の伊万里焼や中国の磁器を手本に真似たもの。
しかし他の模倣品とは違い、美しく硬くて丈夫な独自の硬質陶器だからこそ、本物の東洋陶磁器にも見劣りしない素晴らしい作品たちが数多く誕生しました。