
LIMOGES(リモージュ)
フランスを代表する気品あふれる陶磁器であるリモージュとは焼き物や七宝焼きの街として世界的に名高いフランス・リームザン地方の中心都市であり、その周辺で生産される磁器は、リモージュ焼きとも呼ばれます。その歴史は1771年にリモージュにて窯が開かれたことから始まります。
【 LIMOGES(リモージュ)】
フランスを代表する気品あふれる陶磁器
リモージュは、かつては七宝焼き(金属の素地にガラス質の釉薬をかけて焼きつける工芸の一種。その工芸技法および作品のこと。)の産地として知られており、その技術が磁器の製作にも活かされました。セーヴル窯の影響を受けながら、独自のスタイルを確立し、世界中にその名を知られるようになりました。
18世紀、フランスのリモージュで生まれた磁器は、その透き通るような白さと繊細な絵付けが特徴です。偶然発見された白い粘土 「カオリン」を原料に、セーヴル窯の技術を取り入れながら発展しました。 フランス革命後も、多くの技術者が集まり、民間の窯が数多く生まれました

17世紀のヨーロッパにおける磁器への熱狂とフランスの苦悩
透き通るような白さと繊細な絵付けが美しいフランス・リモージュ磁器。その歴史は18世紀にまで遡り、長い年月をかけて培われた技術とデザインが特徴です。
17世紀のヨーロッパでは、中国から伝わった白磁がその美しさから「白い宝石」と称され、貴族たちの間で大変珍重されていました。この白磁を自国で作りたいという熱望は、ヨーロッパ各地に広がっていきました。
当時のヨーロッパには、中国や日本の磁器のように、純白で薄く、硬く艶やかな硬質磁器を作る技術がありませんでした。
やがて、列国の王侯貴族や事業家は、自分で磁器を作れば、東洋に流れる莫大な富が手に入ると考えるようになり、ヨーロッパ全土で磁器生産への熱意が高まったのです。
1709年、ドイツのマイセンがついに白磁の製造に成功し、その生産を独占。ヨーロッパの磁器市場を席巻しました。この状況に危機感を抱いたフランスも、自国での白磁生産を目指します。しかし、白磁の原料となるカオリンという鉱物がなかなか見つからず、フランスの白磁製造は難航を極めました。
しかし1768年リモージュに住む薬剤師の妻が洗濯に使用していた白い土がその「カオリン」だということが判明されることになります。
リモージュのカオリンは、セーヴル窯に運ばれ、より高品質な磁器を作るために使われました。しかし、リモージュの地には、磁器を生み出す力が宿っていたのか、やがてリモージュ独自の磁器が1770年代に誕生しました。
リモージュ磁器の隆盛
リモージュは、豊富な磁器原料に恵まれ、エマイユと呼ばれる七宝焼きの技術をもっていたことから、磁器生産の地に最適でした。しかし、初期の頃は経営が苦しく、アルトワ伯爵の保護を受け、後にセーヴル窯に買収されるなど、その歴史は波乱万丈でした。
フランス革命を機に、リモージュはさらに発展します。セーヴルの技術者が移住し、民間の窯が数多く誕生。これにより、リモージュ磁器は王族や貴族だけでなく、一般市民にも広く親しまれるようになりました。食器だけでなく、置時計や彫刻など、その種類は多岐にわたり、芸術性の高い作品も数多く生み出されています。
世界のリモージュへ
19世紀中頃、リモージュには30以上の製陶所が誕生し、最盛期には100を超えるほど繁栄しました。中でもダビド・アビランドによるアメリカへの紹介は、リモージュ磁器を世界市場へと押し上げました。
1851年のロンドン万国博覧会での出展は、リモージュ磁器の名声を不動のものとし、世界中にその名が知れ渡るきっかけとなりました。その後も、はめ込み技術などの新たな技術開発により、リモージュ磁器はさらなる発展を遂げました。
第二次世界大戦という困難な時代を乗り越え、現在もなお、リモージュはフランス国内で伝統を守りながら、世界中で愛される磁器を生み出し続けています。